Friday, March 30

なるほど・・

“アップルで働くまで、イノベーションというのは「今にない、新しいものを作ること」だと思ってた。でもそれは違って、イノベーションというのは「未来にある普通のものを作ること」なのです。この違いを理解できるまでかなり時間がかかった。”

b-monster

今日は業務の合間をぬって、得意先とb-monster行ってきた!
めちゃくちゃきつくてほんと冗談じゃなくしぬかとおもったけど、
結果、楽しかった!

ありがたいものだ。


Wednesday, March 28

Metor min. No.185 掲載レストラン全16 「東京の名店」 - から

スターツ出版のメトロミニッツ。

過去、博報堂の三浦 展さんの「第四の消費」を大々的に取り上げたりと、
無料でもらえる地下鉄のフリーペーパーならぬエッジーな誌面にビックリしたり、
月イチ、満月の日に集まる「満月酒場」というイベントを行っていたり、
感心していた。

最近、紙版「食べログ」みたいになってるなぁってちょっと残念だったけど、
今回の号は、お店案内というていではあるものの、
食糧廃棄問題を取り上げた書籍をさり気なく1ページ割いたり、
フードライターの柴田香織さんのコラムで、地理的表示保護制度(GI)について説いたりと、
実は、かなり気骨あふれる内容となってた。

柴田さんの
”守るべきものをなくしたら売るべきものがなくなる”
という、しめくくりのさりげない刃はぐさっとささった。

結局、守るべき志を失った途端、
いてもいなくてもよい存在になることは、
農産物でも、名産品でも、加工食品ブランドでも、そして、人間(企業人)でも一緒のことと思った。

でも、会社っていうのは、なぜか、この志をくじくようにうまくできてて、
それのほうが統制しやすいからで、
これって、でも実は、太平洋戦争とかの
過去の失敗に学んでないのと一緒じゃないかって、今日往訪の帰りに
悶々としてたこと。

生きる魂を失って、特攻なんて、死んでもまっぴらだ!って、
思った。。

あと、これら2つのコラムだけではなくて、
「昭和のこころ」という
昭和の名店を、現代の名店のシェフがおすすめする企画がしびれた。。



新橋駅前の謎の汚(お)ビル(昔のバラックの名残らしい・・)に入っている、
「ビーフン東」。

「料理人を続けていると、いつの間にか料理だけに集中しがちになる。でも本当はお客さんを見なければ、
それは自己満足というか、気持ちのこもらないものになると思うんです。」
昼だけで4~5回転、1日200食も出る「ビーフン東」で、料理人は注文表を「書く」「見る」1秒さえ割愛し、
耳で聞き頭で憶える。
かれらはそれが「どの席の注文か」まで把握しながらガンガン作り、待たせない。
お客の方もサッと食べてすっと立ち、次の人のために席を譲る。
この歯車が咬み合って初めて、店は生き生きと動き出し、活気が生まれていく。
「どの店にも、その店のリズムがある」

店には独特のリズムがあって、
それって、お店の人だけじゃなくって、客さえもそれを奏でる一員だっていうの、
たしかに昭和のなぞの条件かもなって思った。

あと、とくに今、自分たちで自主テーマでプロジェクトやってたりすると、
どうしても停滞気味になりがちな瞬間とのちょっとした闘いがある中で、この言葉・・

「ビーフン東」の拭き掃除は毎朝のほか、昼と夜の営業後にも行われる。
熱い湯を使い布を固く絞って、棚や硝子、壁の凹凸まで。いつも綺麗だから大掃除は必要ない、と東さんは言う。
「何事も、横着をしないことです」
北村シェフは「横着とは、誰もが持っている心」だと思った。気がついたらついはしょっていた、怠けていた、という隙は誰にでも忍び寄り、その小さな緩みが、やがて味にも店の空気にも漏れ出してしまうことになる。
東さんはきっと、「横着をしない」を意識して続けているのではないか。
「極めている人とは、続けられる今期がある人なのかもしれません」

この偉大なる普通を続けられる根性を、
体現していかなければなるまい。

今後、日本で足りなくなる人材は・・

・AIプログラマー
・データサイエンティスト
・フューチャリスト
だそうだ。

ぼくは、フューチャリストになりたい。
というか、なるしかない・・

結局のところ

現業が大事だなと思った。

当たり前なんだけど、
今みたいに春になって、組織再編とかでごにゃごにゃしていると、
見失いがちになりそうになる。

そうじゃない。

ぜったいに大切で忘れてはいけないのは、
現場で、リーチの範囲に入ってきた人同士が
接触して笑顔咲いたり、火花散ったり、
その”現場”が大事なんだということ。

これをなくしては、元も子もない。

こういう再編期こそ、
北極星のように堂々と軸をもちながら、
同じ場所で粘り強く輝くべきと思っている。



むかし、こんなことを言ってくれた偉い人がいた・・
(これはぼくが1年生のときの役員だったか)

台風の目になること。
周りがおまえを中心に回りだす。
そうしたら勝ちだ。
みんなお前の志の渦中だ。
より目と耳が澄み、高いところから、世の中が見られる。
そしてその高い視座がさらにお前を中心にとどまらせる循環になる。
台風の目になって、いることが大切だ。

と。

Sunday, March 25

なんだか、近ごろ

涙もろい・・

朝の連続テレビ小説わろてんかみてても、
ヤフーニュースの訃報読んでてても、
テレビでドキュメンタリー観てても、
泣けてくる。

季節のせいなのか、はたまた、、、もしや、老化現象なのか。。

身体の不調といえば、、
とりあえず、花粉症で死にそうな思いはしている・・

花粉が飛んで、桜が咲けば、
そろそろ4月。


Tuesday, March 20

鶏口牛後

マーケティングや経営の真理を追求するに、
なんら所属やそのブランドはかかわらないと思う。

反対に、大切なのは自身とその外側の世界を
つなぐ状態への感性であり、それを身体スケールを持って
ことこまかに観る(観察する)ことであると感じる。

自分自身のスケールでとらえられる違和感を
大切に、前に進んでいくことが
小さな組織にいるからこそ大切。

この小さな組織を実験場と捉え、
そして、改革に携わることができるか。これも大事。

ブレない。

未来へ、堂々と構えること。

Thursday, March 15

六本木アートカレッジ2018 - 曖昧な境界線からの視座

参加してきた。

OPENING / CLOSING セッションは・・うーんまぁという感じではあった。
ちょっと違和感であったのは、登壇者が皆口を揃えて「クリエイティビティ」というキーワードを多用していたこと。

クリエイティビティってなにかなって思ってしまった。
創造性って日本語があたるのかもしれないけど、
でもなんか漠然とした言葉だし、もっとその点に突っ込んでもいいかなと思った。

メイクセンスが重要な時代だからこそ、創造が生まれうる内発的動機の
根源って人それぞれ違うし、そういうことを突き詰めていくと、
アートを通して世の中が見えるのかなとか。

そんなことを期待した。



参加して面白かったセッションは、
☆【医学×文学】過去を振返り、未来を考える(稲葉俊郎さん×田口ランディさん)
と、
☆【文化×人類×発酵=?】見えない世界を見える化する(小倉ヒラクさん×飛鷹全法さん)
の2つ。

とくに稲葉俊郎さんは、著書「いのちを呼びさますもの」、
小倉ヒラクさんは、著書「発酵文化人類学」を読んでいたこともあり、
とても期待をしていた。



ひとつめの
☆【医学×文学】過去を振返り、未来を考える(稲葉俊郎さん×田口ランディさん)は、
今回のカレッジが3.11開催ともあり、「原発」を考えることを入口に、
・50万年も掛けて自然にかえる放射性物質
・最終処理場に関してはまだ実験段階で運用がないこと
を通して、もう一度、原子力の強さそして恐ろしさを考えることから始まった。

そこから話は、現代における弔い(とむらい)の重要性について発展していくのだが、
死があり、それを解釈するために、一生懸命考えたり、悩んだりした結果、
アートが生まれてきたという、稲葉俊郎さんの言葉はやはり重みがあったし、
六本木アートカレッジというちょっと浮かれたセッション中で、異彩を放ち、とても強烈であった。

死や、物事の終わりを見つめる瞬間、そんな時をキチンと持つことの意味を感じた。
生きるものとしての責任として、死から目をそむけないこと。
これが大切なんだろう。
そうして、生きる瞬間を考えいていくことが、生きる意味なのかもしれないなとさえ思う。

最終処理場の実験場の見学で田口ランディさんが、
参加者から聞いた言葉「(放射性物質を永劫安置する)祭壇みたい」という感想が
リンクしていった点は、
昭和の消費社会の中で、終わりを見つめることをやめた人の過ちがあったことを証左しているようにも感じられた。

このセッションに参加できて、本当に良かった。
改めて、大きなヒントを貰ったきがする。そしてこういう大きなヒントというのは、
身体の中にはいってボディブローのようにじわじわと事あるたびにきいてくる。

死と向き合うことが、文化、宗教、医学の源泉。
(稲葉俊郎 - 六本木アートカレッジ2018) 
ケガレ→気が枯れる
もともとあったものがなくなる。
(稲葉俊郎 - 六本木アートカレッジ2018) 
最終処分は、処分ということでいいのか。技術論だけが先行して、心や気持ちの決着がついていない。本来ならば埋葬の儀礼に近いものであるはず
(稲葉俊郎 / 田口ランディ - 六本木アートカレッジ2018) 
死に対する儀式や姿勢。死を思うことが生を考えることである。われわれの出したものはどこへ行ってしまうんだろう
(稲葉俊郎 - 六本木アートカレッジ2018)




ふたつめのセッションは、これまた面白く。

発酵の世界観と仏教の世界観が融合して、まさに新しい醸しが生まれていた。

発酵も、仏教も、全体性の中の個であり、個の中の全体性であり、
優越ということではなく、バランスのなかで世の中・環境が成り立っていると
とくということは、非常に興味深い内容であった。

身近な宇宙が腸内細菌。
人間1ユニットの中にいくつもユニットがある。
(小倉ヒラク - 六本木アートカレッジ2018) 
東洋の哲学のなかには、個人はそもそも全ての環境の結節点である。微生物の存在がこれを科学的に証左しているとも言える。
(飛鷹全方 - 六本木アートカレッジ2018)
勝つと生き残ることは違う。勝つのは、全てを叩くこと。生き残ることはDNAを残し、多様性の余地を残すこと。富国強兵は勝つためのロジック。
高野山の概念も、ダイバーシティとソーシャルインクルーシブ全く現代の争点と一緒。多様性を身につけることは、生きる意味を見出すに近い。いろんな人がそこにいることを許される居心地の良さ。
(小倉ヒラク / 飛鷹全方 - 六本木アートカレッジ2018) 
学習はカタログをインプットするだけではなく、自分に意味のある情報を血と肉にさせるにかわってる。たとえば、味噌を作るだけでも、国産大豆の流通量にも意識が行ったり。。
人はなんのために、学ぶのか
(小倉ヒラク - 六本木アートカレッジ2018)

曼荼羅には異教の神々まで存在する。オープンな複雑系である。
また、ぬか床もしかり。もともとあった菌に、人間の手のひらの菌がくわわり、さらに野菜の常在菌までもがくわわりながら、新しいバランスの中で美味しくなる。
奥の院に来た外国人が、全然違うとこから来たのに居心地が良いという。世界の中にはぬか床のように、自分の居心地がいい場所というのが不思議と存在する。居心地とはなんなのか。
(小倉ヒラク / 飛鷹全方 - 六本木アートカレッジ2018) 
入我我入。
仏が私の中に入って、私が仏の中に入る。曼荼羅に入る私も、曼荼羅を俯瞰する私も、それ双方があるのがよい。客体、主体を超えたところに、発酵があり、食べてうまいというのが成仏である。1つのミクロコスモスと一体化しているというのが、働きの合理性があるということなのかもしれない。
マインドフルネスは、外界との不調和をケアするためのもの。発酵食品は自他との境界を曖昧にする絶妙に高度であること。たとえば、酒を飲んで昼寝してる時など。
(小倉ヒラク / 飛鷹全方 - 六本木アートカレッジ2018)



こうやって、あらためて2つのセッションを振り返ってみると、
死生、文化、環境、未来との「曖昧な境界線」に立ち考えること、視座を持つことの重要性を
刺激してくれる機会を得られたのではないか。

複雑で、不透明で、変化が早くて、そんな激流の中にあって、
ぶれない軸とは何かを探している世の中の気分に少しだけ触れられた気がする。

Monday, March 12

アート;やくしまるえつこがアルスエレクトロニカ『STARTS PRIZE』でグランプリ

今日の六本木アートカレッジで話題になっていた、
やくしまるえつこさんの作品。

シアノバクテリアの塩基配列から音楽を作って、
さらに遺伝子組換えで残すというもの。

記号化という接点でバイオと音楽とを結びつけ、
永久に受け継ぐという発想は、驚き。

以下Cinra.netからの転載~~~


やくしまるえつこ『わたしは人類』遺伝子組換え微生物
やくしまるえつこ『わたしは人類』遺伝子組換え微生物
やくしまるえつこが『アルスエレクトロニカ』の『STARTS PRIZE』でグランプリを受賞したことがわかった。
今回で2回目を迎える『STARTS PRIZE』は、オーストリアのメディアアート賞『アルスエレクトロニカ』が欧州委員会からの命を受けて実施している賞。科学、テクノロジー、アートを横断する革新的なプロジェクト2点に対して授与される。
やくしまるのグランプリ受賞作は、「人類滅亡後の音楽」をコンセプトにバイオテクノロジーを用いて制作した作品『わたしは人類』。やくしまるは、シアノバクテリアの一種である微生物・シネココッカスの塩基配列を用いて楽曲“わたしは人類”を制作したほか、同曲の情報をDNAコード化し、DNAを人工合成して微生物の染色体に組み込み、『わたしは人類』の遺伝子組換え微生物を作り上げた。
『STARTS PRIZE』で日本人がグランプリを受賞したのは、やくしまるが初。今回の発表とあわせて、『わたしは人類』の実際の遺伝子情報をもとにした映像と、2016年に相対性理論によって山口・山口情報芸術センター[YCAM]で披露された『わたしは人類』のライブパフォーマンスの映像が公開された。なおやくしまると共にグランプリを受賞したのは、チューリッヒ工科大学のGramazio Kohler Researchとマサチューセッツ工科大学のSelf-Assembly Labによる作品『Rock Print』。
やくしまるえつこ
やくしまるえつこ
『STARTS PRIZE』ロゴ
『STARTS PRIZE』ロゴ
やくしまるえつこ『わたしは人類』遺伝子組換え微生物
やくしまるえつこ『わたしは人類』遺伝子組換え微生物
やくしまるえつこ『わたしは人類』CD
やくしまるえつこ『わたしは人類』CD
やくしまるえつこ『わたしは人類』配信盤ジャケット
やくしまるえつこ『わたしは人類』配信盤ジャケット


Wednesday, March 7

没頭力 「なんかつまらない」を解決する技術 - 吉田 尚記

とある情報サイトから流れてきて、
この本読んだ。

面白かった。

「没頭」を日本放送でパーソナリティをつとめる著者の
体験からだけではなく、科学的アプローチも踏まえて
いろんな角度から語られている点が、とてもすばらしいと思った。

人生100年時代とか言ったりして、
時間がどんどん伸びていくなか、
反対に、働き方改革とか言って、
時間をもっと効率よく使わないといけない
なぞの時間矛盾社会の中にあって、

私たちにひとつのヒントをくれるのが、
この
「没頭力」
なのではないかと思ったりしている。

著者の言葉を借りれば、
「没頭」とは幸福のひとつ
であり、こんな時代を機嫌よく生き抜く指標となりうる。

そういえば、最近とくに言われるのが「ブランド体験」の重要性だったりして、
それってまさに”時間”そのものが必要であり、
あと、”時間軸”での演出がキーになってたりするから、
やっぱり「没頭」を考えることはとってもよいこと。

ブランドが一生懸命”Share of Time”を獲得する中で、
本当に大切なのは、”Share of Botto”ということでもあるのかもしれない。

これは実は矛盾していて、
時間を消費しているのにもかかわらず
本人にはその自覚がない状態で、

一昔前のブランドに大枚はたいても
何も感じなかったバブリー時代にちょっと似ている。

「時間バブル」??
なんてミヒャエル・エンデの小説モモに出てきそうな
言葉なんかも思いつく。

Thursday, March 1