Tuesday, August 15

星野源 - Family Song

星野源 - Family Song購入した。

特設サイトに解説が・・
読んだ。

(勝手ではあるが)ぐっと来たところを赤字ハイライトした。

解説:高橋芳朗(音楽ジャーナリスト)

 「ソウルミュージックはアメリカ黒人がつくり出したもので、なによりも〈フィーリング〉を高揚させる音楽である。ソウルはブルースと同じく、リスナーとの経験の共有、つまり聴き手との関係を前提とする。そのうえで、シンガーは聴衆の気持ちを確認し、彼らの思いを解き明かす。この意味において、ソウルは神聖なる儀式という体裁をいまも保っている」
ーークライヴ・アンダーソン、1976年刊行の『The Soul Book』より
『恋』に続く星野源さんの新しいシングルのタイトルが『Family Song』に決定したことが発表になったとき、併せて、その表題曲が家族を題材にした高畑充希さん主演のドラマ『過保護のカホコ』の主題歌になることが明らかになったとき、そこには星野さんのこんなコメントが添えられていました。
「脚本を読ませていただき、家族をテーマにしたソウルミュージックにしたいと思いました」
その時点では、まだ『Family Song』という曲の断片すら耳にしていませんでした。でも、もうこの一文だけで快哉を叫びたくなるような、そんな気分にかられました。いろいろなアプローチが考えられるなか、家族を歌うにあたってソウルミュージックを選択した星野さんの決断が、無性にうれしかったのです。
というのも、僕にとって「ファミリー」という言葉はほとんどソウルミュージック用語みたいな感覚があるからです。その理由はいくつかありますが、なんといっても、ソウルミュージックには家族をテーマにした曲がたくさん存在していることが大きいです。シスター・スレッジの『We Are Family』、オージェイズの『Family Reunion』、そのものずばりなヒューバート・ロウズの『Family』も大好きなナンバーです。
ただ、ここで強調しておきたいのは、ソウルミュージックで歌われる「ファミリー」は多くの場合、単なる家族以上の意味を含んでいます。博愛のニュアンスが込められていることもあれば、連帯や団結をうながすメタファーとして使われていることもあるし、なかには「愛」と置き換えても違和感がないようなものもめずらしくありません。
おそらくこれには、ソウルミュージックの成り立ちが関係しています。ソウルミュージックは1960年代に黒人差別の撤廃に向けた動きのなかで発展していった背景がありますが、抑圧のなかで人種統合に期待を寄せていた人々の理想的な共同体、その結びつきを言い表すのに最もふさわしい概念のひとつが「ファミリー」だったのかもしれません。黒人のコミュニティでは血縁がなくても同胞を「ブラザー」や「シスター」と呼び合う慣習がありますが、これも大いに関連してくる話でしょう。
ブラックミュージックの超重要人物、スライ・ストーンは1967年に人種/性別混成のバンドを結成しますが、その名前が「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」だったのは、そう考えるとなんとも示唆的です。こうした背景のもとに確立されていったソウルミュージックという音楽は、アメリカの黒人カルチャーの豊かな包容力と寛容性のシンボルといえるでしょう。
星野さんの『Family Song』についてのコメントを目にしたとき、真っ先に考えたのはそういうことでした。それを星野さんに打ち明けると、彼はこんな話をしてくれました。
「家族について歌詞を書いていると、ほぼ〈愛〉と同義なんじゃないかっていうのはすごく思いました。結局は愛の歌を書いてる感覚なので、いろいろ取っ払って本当の真心で書いたら、すぐに歌詞ができあがったんです」
実際に耳にした『Family Song』は、これまで僕が聴いてきた数々の「ファミリー」を題材にしたソウルミュージックと同じように、やはり広義での家族の歌でした。星野さんは、曲のなかでこんなふうに歌っています。「出会いに意味などないけれど 血の色 形も違うけれど いつまでも側にいることが できたらいいだろうな」と。『Family Song』を歌うにあたって「家族」と対峙した星野さんが導き出した結論は、この一節に集約されていると考えています。
「家族やファミリーって、めちゃくちゃポピュラーな言葉じゃないですか。ちょっと普遍的すぎるというか。それをなんとなくの印象ではなく、この機会にちゃんと考えてみたくて。そんななかで、前回の『恋』のときに題材にした恋愛と同じように、家族というものもどんどんかたちが変わってきていると思ったんです。恋愛のかたちが変わっていくのにしたがって、必然的に家族のかたちも変わってきますよね。これからは両親が同性の家族も増えてくるだろうし、そういう多様化のなかでちゃんとそれを受け止めるだけの器の大きい〈これからの歌〉をまたつくりたくて。もう血のつながりとか一緒に暮らしているかどうかとか、そもそも人間かどうかっていうのも関係ないんじゃないかって思えてきたんです。そういうことを考えながら〈なにが家族なんだろう?〉って思ったとき、相手のことを心から無事であるように願ったり、少しでも幸せであるようにと、何の見返りも求めず思える、そういう関係を家族というのだろうと思って歌詞を書きました」
この星野さんの発言にほのめかされているように、『Family Song』は前シングルの『恋』と地続きで、そして『恋』で訴えたことのさらに先の景色を歌っています。星野さん曰く「すべての恋にあてまるラブソング」であった『恋』は、世界規模でのLGBT権利運動の高まりに呼応するメッセージを含んでいましたが、今回の『Family Song』もまた現在の社会情勢に強い影響を受けた痕跡がうかがえます。ここで「あなたは何処にでも行ける あなたは何にでもなれる」と歌う星野さんが試みようとしているのは、閉塞感や息苦しさで満たされたこの世界に一縷の光を灯すこと。先ほどソウルミュージックについて「黒人カルチャーの豊かな包容力と寛容性のシンボル」と書きましたが、まさに『Family Song』はそんなソウルの本質に触れるような曲なのです。
「いまの世の中の息苦しさ、殺伐としながら怒る先を探してる感じというか、そういう雰囲気にうんざりしてたっていうのはありますね。主にメディアから発せられるものに対して息苦しさを感じていたので、ホッとするような歌をつくりたいという気持ちがありました。温かくなるような、なにか大きなものにハグしてもらっている感じというか。そういった安らぎのような部分と、ドラマの主題歌として古いソウルミュージックを今の歌としてやることの過激さ、両方のおもしろみを両立できたらと考えていました」
ソウルミュージックを通して家族について歌うことは、すぐに決まりました。そして、改めて「家族」に正面から向き合った結果、どんなことを歌うべきかもわかりました。問題は、それをどうやって鳴らすか、です。
星野さんは『Family Song』で目指したサウンドについて「1960年代末から1970年代初頭のソウルミュージック」と明言していますが、さらにそんな往年のソウルミュージックを「ヴィンテージエフェクトの効果に頼らず、現在の日本に、日本的に立ち昇らせる」という、とてつもなく高いハードルをみずからに課しています。
「今回はずっとやりたかったことが実現できて〈やったぜ!〉って感じなんですけど、実はシンバルを一切入れなかったんですよ。打ち込みでシンバルが入っていない曲、たとえばテクノやエレクトロなんかではそういう曲もたくさんあるんですけど、生演奏の日本の音楽でクラッシュシンバル、ライドシンバルが入ってない曲はほとんどないと思います。特にJ-POPでは。でも、海外のR&Bやソウルミュージックでは普通にたくさんあって。それはなぜなのか、なぜ日本人はシンバルを叩くのか、というのはずっと考えていたんです。今回古いソウルミュージックのニュアンスを追求するうえで大事な部分、鍵になっている部分はまさにそのシンバルを入れないというところで、あのなかにシンバルを入れると途端にJ-POPになるんです。だから〈古いソウルミュージックのニュアンスを追求すること〉と〈シンバルの入っていない曲をつくること〉という自分がやってみたかったことが見事に合致して、やってみたらいきなりあの雰囲気に近づいたところがあって。ただ、シンバルを入れないだけでめちゃくちゃ不安になるんですよ。そこでシンバルがないのを寂しくないようにするにはどうすればいいのか、いろいろ試しながらつくっていきました」
現代のテクノロジーを駆使すれば、レトロなサウンドも本場のサウンドも、わりとたやすく再現できるはずです。ただし星野さんは、今回に限らず「本物のブラックミュージックに近づけていくこと」をさして重要視していません。彼が『YELLOW DANCER』のレコーディングを回想して「ブラックミュージックとJ-POP、とにかくその両方の手綱を離さないまま絶対に最後までいってやるんだ」と話していた、その執念の言葉が強烈に印象に残っているのですが、星野さんが意義を見出しているのはブラックミュージックを血肉化して、あくまでそれを「J-POPのなかで説得力のある音として鳴らすこと」なのです。
「ノスタルジックなだけになっちゃうのがあんまり好きじゃないんですよ。ラファエル・サディークみたいな、いまの黒人アーティストがやるのはすごくいいと思うんです。でも、日本人の僕がやるとなると急に陳腐になってしまう。リスペクトはあるけど、民族的な魂がつながっていないのに安易にやるのはちょっとどうかと思うし、そこは徹底しなくちゃいけないと思っています」
星野さんが『YELLOW DANCER』のリリースを機に標榜するようになった「イエローミュージック」というコンセプトは、まさにそういうことです。ブラックミュージックを日本人である自分のフィルターを通してイエローミュージック化することは、現在の星野さんの音楽活動の最大のテーマになっていますが、それはもっと噛み砕いて言うならば、本場のソウルミュージック/ブラックミュージックを自分たちの生活圏内に引き寄せること、と考えていいと思います。
これに関しては、ソウルミュージックの確立とほぼ同時期の1960年代にアメリカで定着した言葉「ソウルフード」を例にして考えればよりわかりやすいかもしれません。ソウルフードはもともとアメリカ南部の黒人のあいだで発展してきた伝統料理の総称でしたが、いまでは国や人種を問わず「地域/生活に根ざした料理」として普遍的な意味を持つようになりました。星野さんが『Family Song』でやろうとしていることはそれと同じように、アメリカの黒人カルチャーから生まれたソウルミュージックを日本人の生活に根ざした音楽に落とし込むこと、ソウルミュージックを我々日本人にとっての庶民の音楽として鳴らすことなのです。
「J-POP的なものはコード進行とメロディーのなかにたくさん込めたので、それでもう十分だろうと。だから、そこはアレンジとメロディーの融合が不自然でさえなければおのずとJ-POPに向き合えるものになるだろうという確信はありました。ソウルミュージック的なメロディーというのは、今回はほとんど入っていないんですよ。メロディーでニュアンスを追求することって、J-POPからは限りなく離れていくことになってしまう。自分がつくったメロディーはそういうソウルミュージック的なものとは対極にあるんだけど、〈でもなんか合いそうな気がする!〉という微かな予感と希望を頼りに試行錯誤していくような、そういう作業でしたね。ただ、そういうなかで作業を繰り返していると、自分でもよくわからなくなってくるんですよ。これがどういうニュアンスで受け取られるのか、普通にJ-POPとして受け入れられるのか、そういう昔のソウルミュージックが香るものになるのだろうか、もうまったくわからなくなっちゃって。だから、聴いてくれた人に〈ソウルだね!〉って言われたときは〈よかったー! ありがてー!〉みたいな(笑)」
『Family Song』で星野さんが成し遂げた日本の情緒とソウルミュージックのぬくもりとの絶妙なフィッティングは、いきなりピンク色の多幸感で曲を染め上げる冒頭の星野さんのアドリブを通過したあと、すぐに実感できると思います。そして、歌が「救急車のサイレンが 胸の糸を締めるから 夕方のメロディに 想い届けてくれないか」という一節に差し掛かったとき、あるいは、クライマックスでゴスペルタッチのコーラスと共に曲が秘めていた豊かな包容力が一気に立ち上がってくるとき、「1960年代末から1970年代初頭のソウルミュージックを、現在の日本に、日本的に立ち昇らせる」という星野さんの目論見が完璧に達成されたことがよくわかると思います。
アメリカ人作家のピーター・ギュラルニックは1986年に刊行した著作『スウィート・ソウル・ミュージック』において、ソウルシンガーのパーシー・スレッジが『When a Man Loves a Woman』で全米チャートを制した1967年当時の興奮をこんなふうに綴っています。「現実離れした寛大さと黒人の連帯とを表現する曲がついに登場した」と。
それから、ちょうど50年。太平洋を隔てた国で、本場とはちがう独自の解釈のもとにつくられたソウルミュージックにも、核にある寛大さはしっかりと継承されています。それは作者である星野さんの言葉を借りるならば、多様化のなかで、ちゃんとそれを受け止めるだけの、器の大きい、「これからの歌」です。ソウルミュージックを通して「ファミリー」を歌うことは、必然だったのです。
それなりの長い文章に付き合ってもらっておいて最後にこんなことを言うのは申し訳ないのですが、実をいうと、ここまで書いてきたようなことは基本的にすべて『Family Song』のミュージックビデオに落とし込まれています。このビデオは、もしかしたら一見奇をてらったように映るかもしれませんが、曲に託された意図が細部にわたってここまで徹底的に映像化されたものはなかなかお目にかかれないと思います。星野さんが『Family Song』でどんなことを表現しようとしているのかを知りたければ、このビデオをじっくり繰り返し見ればきっと理解できるはずです。
「まず、これからの時代のスタンダードになるであろう多様で自由な家族像を、演じているキャラクターと中のひとの性別をぐちゃぐちゃにしたことで、無意識にでも感じられればと思いました。かつ、この『サザエさん』的古き良き家庭観を日本のトップランナーである吉田ユニのアートディレクションの美術世界に入れることで、ノスタルジーでなく過去からつながった〈いま〉の最先端として表現したかったんです。ちなみに、『サザエさん』のTVアニメが始まったのは実は1969年。そして、同じ1969年に発売された筒美京平さん作の『サザエさん』の主題歌には、モータウンの影響を感じます。楽曲で目指した〈60年代末から70年代初頭のソウルミュージック〉という部分に偶然にもピッタリはまるんです。これからの家族の歌であるということ、借り物ではなく自分の場所のソウルミュージックであること、すべてのコンセプトが、意図せずに企画した〈あの番組〉を再現することでつながるという。もちろん、その出演者でもあった高畑充希さんが主演しているドラマの主題歌であることもすべてつながるんです」
『恋』をきっかけに星野さんの大ファンになった3歳の娘は、もうすでに親のスマートフォンを奪い取って「ほしのさんのおかあさんのやつー」と『Family Song』のミュージックビデオを見せるようせがんできます。そして、娘が不思議そうな顔で女装した星野さんの姿を見つめてこれはどういうことなのか説明を求めてくるたび、痛感させられるのです。星野源というひとは、伝説をつくることにとことん自覚的な方なのだな、と。

Monday, August 14

浮き城

お盆でお墓参りに帰ってきたついでに、
アウトレットで先般始めたランニングツールを買いに行った。

アウトレットへ向かい途中で、
忍城址 左折の看板についつい反応して、
いい機会だったので見てきた。

のぼうの城で有名な浮城におもいをはせながら、
閉館間際の郷土資料館も見学できた。

日がな一日をこうして社会科見学につかうのも、
また楽しいものであった。

難があっても、耐え忍び、機会をうかがう、
そんな柔軟な難攻不落な城を作ろうなんて、
すごいアイデアだったんだなぁ。

やはり地の利というのがものをいうんだなぁ。


明治に入って解体工事の業者分け分けの図


浮き城全景。これは確かに攻めづらいな。素人目でも何となく分かる。


忍城の由来。


住宅地を抜けると、再建された3層の天守閣が見える。



ちょっとここで気がついたのが、
立派な天守閣が再建されているけれど、当時の縄張りを参考に作られたという
上記の模型の本丸には、なんと天守閣がない。

森(たぶん松林)が茂っているだけで、空き地というのが印象的だ。

もしこれが本当だとしたら、なぜ重要なところを空隙にしたのか。

そこには日本的な間のとり方か、
あるいは防衛上の何らかの機能があったのか、
それとも土地を治めるものとしての何らかの思想なのか・・

妄想が巡った。

地元県散策というのも、たまにはいいものである。

多様性を重視し、価値観を認め合うことについて

お盆、結構ひまなところに、学生時代の友人から連絡。
竹橋の近代美術館へ行くことに。

かれは建築時代の友人で、
当時からよく旅行へ行ったり、東京を散歩したり遊んでいた仲。

とは言え、就職した業界が違っていたり、
ライフステージが違っていたりしてからか、
だいぶ、話が合わないというか、

そもそも価値観を押し付けぎみの話をされて、
なんというか、寂しい気持ちになった。

かれは昔から努力家であり、
なんでも目標をもって、着実にそれを達成するようなやつだったから、
「人生こうあるべき論」を強く持つことはたしかに、ぶれないなぁと思いつつも、

一方で、かれの働く業界のブラック企業の闇を見た。

ブラック企業で生きるためには、価値観(ものさし)を
きちんと合わせることから始まるのかもしれない。

そして個を麻痺させて、集団に溶け込むようにする。

自我が強すぎては、都合の良い労働力とならないためだろう。

誇張して書いているかもしれないが、多かれ少なかれ、意図しないでも、
少しずつ”補正”されてしまった成れの果てのように見えた。

私は広告代理店につとめていて、
むしろ多様性を積極的に受け容れながら、
互いに尊重しなくてはならない業界(だと、思っている)ため、

どうも、この価値観を押し付けられていることに対する、
反発というか、違和感が拭えないまま、
解散となって、ずっともやもやしている。

おとなになって、友達と付き合うためには、
やはりライフステージや働く業界の空気も違ってくることから、
・互いの価値観を尊重すること
・互いの価値観を知ろうとすること
・それに干渉しないこと
なんかがやっぱり重要なんだと思う。

ひとことでいえば、
「付かず離れず」
ということか・・。

結局、そうでないと、互いに疲れるし、
長続きしないんだろう。

Sunday, August 13

夏休み2017 Paris - Day4

この日は、
コルビュジェのラロッシュ邸を見て、
オランジュリーでモネをじっくり見て、
コンコルド広場でちょっと休憩して、
オペラ座の中を見て、
引き続き精力的に活動した。



ラ・ロッシュ邸。



なぞのスロープ→図書室へのアプローチ。
この坂が微妙に急で登りづらい。

なんでまた、こんな平面にしたんだろう・・
と、考えさせられるところがコルビュジェなんだろうなぁ。



電飾まで、意図を持っているような気がしてくる。



視線が入り交じる予感のする吹き抜け。
コルビュジェに動作・所作が読まれている気がする。



オランジュリー美術館。

モネの睡蓮は大型の作品が8点。
好きな睡蓮を見つけるのもまた一興。



これはほんの一部、これが畳12枚ほどの平面を横長に展開されている。
まさに圧巻。



色味が少しづつ異なり、好みの「瞬間」を探すことができる。



水面に焦点を当てることで、枠を取り払い、無限を表現しながらも、
天と地、そして時間までも自由自在に行き交う、まさに、瞑想の境地とも言うべき
「間」が広がっていると言っていいだろう。

本当に素晴らしい作品であり、また、世界中から人が見に来るわけだ。



モネだけじゃなくて、常設展もおすすめ。

やはりコチラの展示も、
「自分の部屋に飾るなら」視点でみると、
ぐっと絵画が近づいてくる笑。



1点1点じっくり見ていると、
なぜこの画家はこのフォーカスをしたのか、
そしてなぜ、この色使いに落ち着いたのか、
その背景にはどんな情熱や意図が隠されているのか、など、
妄想を巡らすのが楽しい・・





オペラ座。

オーディオガイドは5ユーロ。おすすめ。



中央階段を見上げる。



このシャガールの作品の奥にはもう一つの絵があるそうで。
オーディオガイドさまさま。





このあと休憩で、パリとらやへ。

スタッフがとても親切で人当たり良くおもてなし感じた。

限定和菓子や、かき氷とてもおいしかった。

ちなみに2階のトイレとそこまでのアプローチが、
シンプルでありながら、美しく、和の美感じた。



パリの町並みにあって、異彩を放つのれん。
異国の地にあって、懐かしさで出迎えてくれる。



夏季限定のかき氷。抹茶味、非常に美味であった。
あまり氷を食べる習慣が内容で、きっと珍しい1品なんだろうなぁ。



2階から1階へのアプローチを見る。
壁面や蹴上の処理がきちんとしていて、
こういったところからも「ブランド体験」を丁寧に作っていこうという気概を感じる。



シンプルなシンクとトイレ。
トイレはシンプルなほどよいという、禅や仏教の教えを感じる。



コロンとしたかわいい便器。
どこのメーカーなんだろう・・
ウォッシャーはなし。残念。

とは言え、パリ市内にあって、これだけ清潔に、
しかもデザインまできちんと凝らされたトイレが他にどれだけあるだろうか。

そういう体験の積み重ねをしてきた中だったので、
余計に素晴らしいものに見えた。

やはり、水回りというのは大切である。
それは家でも店舗でも、また、都市においても。



偶然見つけたアレフっていうお店。
まだパリに1店舗だけだとか。

パリパリの(日本風に言ったらそうめんを素揚げしたようなやつ)を
まとったクリームのお菓子で、食感も味もユニークだった。

この日はHのお宅訪問をひかえておりましたので、お土産かった。



お菓子も小ぶりで、お土産なんかにちょうどいい。
ただし、生菓子は日持ちしないので、パリで食べるしかない・・!



床のタイルもかわいい。



このあとイブサンローランで狙っていたカバンをYが買って、
Hと合流し、買い物をしながら、Hの友人であるSと一緒に
長めのよいカフェでご飯食べた。

ベルビルの小高い丘の上にあるカフェ。

最高の夜となった。

HとSに心から感謝。



現地に精通したHのお陰で、
本当に楽しい旅行となった。

まだ、今回行けなかった場所がたくさんあるので、
またYと一緒に、往訪しなければ!



学生のころは、その当時で、まったく新しい文化や土地に単純に触れているだけで
面白かったけど、

今回は、Hのお陰で、その文化や土地の背景や
成り立ちについても、ちょっと理解したり発見したりすることができたと思う。

仕事をしたりしながら世の中の仕組みや、社会での出来事を
ちょっとずつ吸収しているからか、
考えることも多く、
こういう旅行も楽しいなぁって思った。

夏休み2017 Paris - Day3

3日目は朝からベルサイユ宮殿へ。
もっとフランスの歴史とベルばらを読んでいたら200%楽しめたろうに。

それが唯一の後悔であったが、
またこの王の居城は、立派であって、ノー知識でも相当楽しめた。

庭が広すぎて、マリー・アントワネットの農村ごっこしたというエリアまでたどり着かなかったので、
次回は行ってみたい。

ちなみに、スウェーデンの貴公子フェルゼンと
逢瀬を楽しんでいたという完璧に刈り込まれた植栽の
庭のカフェで、我々はビールと昼食(サラダ)を楽しんだ。

この日は、YとHと。
留学中のHも初ベルサイユだったとのことで、楽しんでいた。



ここをくぐれば宮殿の敷地。
天気に恵まれ、太陽を浴びた黄金細工がまぶしい。



暖炉の間にあった絵。
もう迫力がすごすぎ。

構図といい、画力といい、色使いといい、採光といい、完璧だろ。



一番涼しげにしている方々。



しかし日差しが強すぎて、
パンフをハットにしているお兄(おじさん含む)を見つけるのが、趣味になりそうなほど、
であったのもまた事実。



その1



その2



その3

「パンがなければ、ブリオッシュを食べればいいのに」
ならぬ、
「帽子がなければ、パンフをかぶればいいのに」
的な・・

ちなみに、ブリオッシュ発言は本当はなかったとか。

民衆の憎しみと言うのは事実も曲げるということか・・
おそろしあ。

そしてそれが革命の原動力になり、封建制度の崩壊へとうんぬん。



ベルサイユ焼けをし、
真っ黒になった。



パリへもどり、シャンゼリゼへ。

ちなみにこのシャンゼリゼ、今回しったのだが、
シャン+エリーゼで、シャンゼリゼ。
シャンとは原っぱのことで、エリーゼ野原的な意味だと知り、
なんかかわいいなって思った。

ルイビトン本店見て、
トヨタと、シトロエンのショールーム見て、
ラデュレでマカロン買って、
セリーヌ見て、ちょっと離れた、イブサンローラン行った。



ルイヴィトン、シャンゼリゼ。



天井を見上げる。
半円筒形で、鏡が貼ってある。

ルイヴィトンの店内はまた立派であった・・
結構賑わってて、飛ぶようにものが売れているのを横目に、
しっかり涼んで、退散した・・!



この日もHは甲斐甲斐しく我々をアテンドしてくれ、
行くとこ行くところに一緒に来てくれた。

夕食はHのお友達という日本人夫妻がいとなんでいる
フレンチのビストロへ。

まだ新しいお店だというのに、現地の人で賑わっており、
すごいなぁと感嘆。

壁に絵画のようにかけられた山と海の手ぬぐいが印象的であった。

11区のラ・プルペリア(La Pulperia)。



前菜。おいしい。
確かうなぎ&パテだった。



海藻とたこ。
(発想が和で、味がフレンチ・・楽しい)



白身魚とムール貝。
このソースがはんぱなく美味しかった。

きちんと下味がするというか、だし感というか、複雑味がして、
夢中になってしまった・・



超おいしい料理と、超おいしいワインをしこたまごちそうになってしまって、
ありがたい限り。

気さくな奥さんがお店を回して、奥では一意専心の強さ感じる旦那さんが
2人の日本人スタッフと一緒に料理を作っていた。

海外で、しかも現地の料理スタイルで、お店やるなんて、すごい。

また、ぜひ訪れたい。



閉店まぎわまでいすわってしまった。

夏休み2017 Paris - Day2

2日めも精力的に活動!

この日はちょっと足を伸ばしてジベルニーへ。
モネのお家探訪です。



輝く太陽、たなびくトリコロール、そして美しい緑。

これ以上欲しいものがあるものか。



モネのお家は、2階建ての8間ほどの大きさ。
各部屋にテーマカラーのようなものがあって、色使いがとてもかわいかった。

印象的だったのは、日本の浮世絵がたくさん飾られていたこと。
大変影響を受けたことをうかがいしる。



この眠り猫もどこか日本趣味。
(日光で見たことがある)



幹線道路を挟んでこの庭こそ、まさに睡蓮の庭。
写真で撮ってしまえば、こんな風に普通?の池なんだけど、
モネの視座を通せば、あのように瞑想へ誘う絵画となることがまた不思議である。



花が咲き乱れる庭の様子。

こんな風景の中で暮らしていたら、
どんな価値観が育まれるのだろうか。

その足でパリへ戻って、ルイビトンファンデーションへ。
フランコ・ゲーリー作の現代建築。



総工費いくら?的な立派な美術館であった。

このシーズンの展示のテーマはアフリカであり、
やっぱり移民多いし、アフリカをルーツに持つ人が身近なことから、
理解ニーズみたいのがあるのかな?と思った。



展示も興味深かったけれど、
やっぱり建築に目が行く。



黄色い光る柱の回廊があって、
そこは、独特なリズムで柱が刻んであって、面白かった。
考えさせられる空間的な感じだった。



1Fのカフェを、あなどってはいけない!
このフランコゲーリーフィーチャーな名前のカフェのすごいところは
まず、照明と思しきオブジェがかなりアート。



このコイがそれ。

さらに、ケーキが抜群においしい。
騙されたと思って頼んでみて正解だった。

ヨーロッパの美術館や博物館で、しっかり過ごすためのこうした
カフェや空間の間のとり方は、本当におもしろい。

(このLVFはもうちょっと、ベンチがほしいところだけど・・
 やっぱり狩猟民族を祖先に持つヨーロッパ系は足が強いのか・・)





このファンデーション美術館がある巨大な公園は、
おそらく昔で言うパリの外
(というのもナンバー区がついてない / ”ポルト”という城壁的な場所の外なので)
のブローニュの森にあって、
その公園が、入場料が必要なかわいらしいぷち遊園地になっていた。

LVFに入ったら自動的に入れるんだけど、
そんな仕組みも最高に良かった。



あと公園内に、狭軌のSL(電動)が走っていて、かなり胸熱だった。
しかもGoogle Mapによると尋常じゃない走行距離であり、
パリっ子の遊園地にかける情熱と徹底ぶりに感服した次第である。



この日は、わたしたちの熱烈な要望で、パリの中華料理屋へ。
日本人もよく訪れるというベルヴィルにあるルグランボル(Le Grand Bol)という
ところへ連れて行ってもらった。

欧州の日差しをたんと浴びたボディに、
シャバシャバの青島は、この世のものとは思えないほどうまかった。

そして謎の貝料理をたんと食べて、この日は終了とあいなった。