Friday, January 30

2014年夏休み 四国・九州への旅:国鉄キハ40系気動車で鹿児島中央へ下山

雨の人吉を後に、
またもや観光列車で一路、吉松駅を目指す。

人吉駅にはすでに「いさぶろう・しんぺい」号がとまっていた。
となりの九州横断特急と赤のコントラストが美しい。雨の中映える。



下り(吉松→人吉)が「いさぶろう」。上り(人吉→吉松)が「しんぺい」。
いさぶろう・しんぺいとは、実は人の名前。

由来は、以下のとおり。
愛称の由来は、「いさぶろう」が人吉駅 - 吉松駅間が建設された当時の逓信大臣山縣伊三郎、「しんぺい」が同区間開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平で、矢岳第一トンネルの矢岳方入口に山縣の「天険若夷」、吉松方に後藤の「引重致遠」の扁額が残ることにちなむものである。それぞれ揮毫者の名を冠する列車が揮毫した扁額に向かって走る形となる。
当時とても大変な敷設工事だったそう。
なんといっても難所続き。かなりの勾配を一気に駆け上る鉄道をとても頼もしく思う。
沿線の人たちの希望の証だったんだろう。


熟練感ただよう背中なめからの、計器。
かっこいい。
(にわかの浅鉄なので、何がなんだかさっぱりわからないけど)

途中、いくつかの駅に停車してくれる。
下の写真は、大畑駅(おこばえき)。
なんでも、「駅舎に名刺を貼ると、出世する」のだとか。



現代美術のようになっている。
個人情報の宝庫だった・・笑


やっぱり運転台かっこええ!
なんで運転手さんがいないかというと、この駅でスイッチバックをするため、
駅から発車する時、後ろ向きに進むから。

坂が急でとてもじゃないけどまっすぐ登れないということ、らしい。
スイッチバックの先には、ぐるりと円を描いて登る「ループ線」もあって
レール鉄としてはRを描く並行線が、涙モノであった。

次の停車駅は、矢岳駅。

この矢岳駅、SLの保管庫兼展示スペースがある。


保管庫にあったD51 170。


運転席に登ることができる!
石炭釜の上部に取り付けられた圧力計などの計器類。しぶい。

この使われてない遺構が漂わせる記憶も想像力をふくらませる。



部品にはひとつひとつ刻印がおしてあった。
D51というのは型番で、170というのは製造番号。170番目に作られたD51。

実はこの保管庫には、先に乗ったSL人吉の機関車も静態保存されていたらしい。
同じ屋根の下、隣合わせ、
1988年、奇跡の復活を遂げるまで。

それを知ってからの、
D51は、
どこかさびしげにも見えた。


雨がまだ降る矢岳駅。
今では珍しい木造駅舎の傍らにたたずむ「いさぶろう・しんぺい」。


明治時代からずっとつかわれているという駅舎。
すごいな。


吉松駅に到着。

キハ40系がならぶ。
奥の鉄道は、普通下り。
そういえばこのキハ40系はディーゼル駆動。
なので、バスみたいなエンジン音をばくばく言わせて走る。

それで、そのエンジン音が加速と合ってなくて、
なんだか不思議な感じがする鉄道だった。


ここで「いさぶろう・しんぺい」号にはお別れ。
向かい側にとまっている「はやとの風」にお乗換え。

この日は平日ともあり、お客さんはまばら。
どこかさびしい様子も、いなか旅の雰囲気を上げてくれる。

「隼人(はやと)」は錦江湾に出るはじめの駅。
錦江湾の景色が目の前に広がり、海を渡るさわやかな風を連想させる。

もともと、「隼人」とは古代日本で、薩摩・大隅エリアに居住した人のことをさすらしい。



熟練感あふれる背中なめからの、視線の先のまっすぐに伸びるレール。


この先が鹿児島。

「はやとの風」も途中駅に停車してくれる。
ここは大隅横川駅。


深い軒。
よくみるとほおずきがぶら下げられている。
あとで鹿児島のカフェのマスターに聞くところによると、
この地方の縁起物らしい。

一房おちてしまってる。
でも、誰かがまた戻すのだろうなぁと、
誰も居ないけど、人の体温を感じさせる駅だった。

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そして嘉例川駅。
じつはここ、2日後に戻ってくることになる。
レンタカーで。
名物のお弁当が食べたくて笑。



こんな感じ。
この駅もとても古い。
木造の駅舎って、なんだか家みたいだし、蔵にも似てる。

駅がこんなだったら、昔の人、電車に乗ったりするときに
草履脱いじゃうよね。

なんだかとても「ウチ」を感じる佇まいが、
日本人としてのDNAをくすぐる。



鹿児島空港が近い。
ボーイング787の勇姿。


隼人駅を抜けて、いよいよ錦江湾へ!
桜島の裾野が雄大だ。

すぎゆく台風から伸びる厚い雲の合間から、
ちらと見える青空が、明日以降の晴天を予感させる。

もう少しで短い旅が終わる。
鹿児島中央駅はまもなくだ。

(この感じ・・BGMは間違いなく、世界の車窓からだろ)