Sunday, May 14

脱・一元論/失敗の本質

私が働く会社にもスローガンがある。
ごくごく月並みな、業界ならば誰もが普通に考えている”一般概念”的スローガンである。

これについてレベルの低い言い争いをしているので、
何が原因かを覚え書きしておきたいと思った。

とある案件で、全く関係ないところで、
とある営業部長が、
この一般概念を単に英語にしたスローガンを振りかざし、
スタッフを動かして、得意先提案しようとした。

スタッフは、それが得意先のためにならないし、
バカみたいだからダメだといったが、
彼は聞かず、しまいにはスタッフの素行に対してキレた。

こういうやり取りをしていると、
養老孟司のバカの壁を思い出す。

どんな案件に対してもろくすっぽ考えずに、
スローガンを魔法の杖のように振りかざす。
一元論的に処理して、深いところまで考えようとしない。
思想は組織に与えられるものであり、個人の考えを持たない。

しかもその思想というものは、先にも書いたように一般概念であり、
特出したアイデアとか、いい考えとか、そういうたぐいのものでないのがさらに厄介。
(そもそもこの業界に、アイデアとかいい考えについて、貫いた言葉探しは難しいのかも)

結局、きちんと自分の中で咀嚼して消化してないスローガンの実行は、
思想の暴力であり、テロであると思っている。

先の大戦では、我が国は、
大日本共栄圏というグランドコンセプトを敷きつつも、
戦略実行は非常にお粗末なものであり、
神話のみ許される認識の横暴で、
「てんのうばんざい」の言葉のもとで、
何人もの若い命をちらしてしまった。

これと何ら変わらない思想のテロが
現代の民間企業にもはびこっていることが驚きなのである。

魔法の杖は何ら変哲のない、
ガイドラインでしかない。

そこに気が付き、自分たちの得意先をいかに成功させるか、
そこに真摯に向き合ってからこそ、
よい考えというものは出てくるのではなかろうか。

それをしないで、
与えられれた一般概念的スローガンだけで、
戦場に現場を送り出すというのは、
それこそ、失敗の本質であり、
この21世紀にあっても、
人間の思考への怠惰な姿勢が生み出す、
ガンであることは間違いない。

Tuesday, April 11

哲学の珈琲 - 珈琲アロー@熊本

熊本出張の際に、同僚が検索して、
飛行機までの時間をつかって言ってきた。

天皇陛下もお飲みになり、
また、コーヒーが苦手な三島由紀夫も通ったという、
「琥珀色のコーヒー」がいただけるお店。



店内は小さなL字型のカウンターに
白髪の亭主が一人。

ドアを開けると、
「どこからきたの?東京?ありがとう。幸せです」
と、最大の歓迎を受ける。

客はわれわれだけで、
メニューはコーヒーだけ。
それも「琥珀色のコーヒー」だけ。

亭主はしばらく喋っていたが、
コーヒーを淹れるときは、
だんまりと、真剣な眼差しが印象的だった。

亭主の肩越しに壁にかかった新聞の取材記事が
チラリと見える。

『コーヒー一杯入魂』。
まさにその姿を目の当たりにした・・。

豆は非常に焙煎が浅いと見え、
生豆と何ら変わらない色味。

手元をじっと見ていると、
布製フィルターで一度、淹れたコーヒーを
もう一度、かるく温めているようだった。

ほどなくして、
まさに透き通った琥珀色のコーヒーが供される。

優しいアーモンドのような、大豆のような
香ばしく優しい香り。
やさしい甘みのあるが苦味がほとんどない
まるで煎茶のような飲み心地の液体。

もはやこれはコーヒーではない?

亭主に聞けば、
これぞ、
コーヒーであるとのことだった。

極めた道を感じながら、
じっくりいただくと、
ぬるくなればなるほど、甘みがますのに驚いた。

日本人が大切にするべき
伝統や、
よく考えるということの大切さを
その後、お話した。

印象的だった。

まさに、
どうあるべきか、
ぶれずに、
何を考えていき、
それを
どう表現していくべきか。

その究極を目指している人に
触れた気がした。

― 哲学の珈琲。



ちなみに「コーヒールンバ」は、このような歌詞らしい・・

昔アラブの偉いお坊さんが 恋を忘れた あわれな男に しびれるような 香りいっぱいの こはく色した 飲み物を 教えてあげました やがて心うきうき とっても不思議 このムード たちまち 男は 若い娘に 恋をした

「こはく色した飲み物」

たしかに、コーヒーは琥珀が、源流なのかもしれない。



【店舗情報】
 ○名称:珈琲アロー(こーひーあろー)
 ○住所:熊本県熊本市中央区花畑町10-10
 ○TEL:096-352-8945
 ○営業時間:[月~木]11:00~23:00[金・土]11:00~27:00[日・祝]14:00~22:00
 ○定休日:不定休

熊本県熊本市中央区花畑町10-10
日本, 〒860-0806 熊本県熊本市中央区花畑町10−10

Saturday, April 1

花粉症

はなみずとまれば もう4月

もう2017年度スタートしてしまった・・
最近読んだ本についてかけていない。

Saturday, March 4

新たな事業機会を見つける「未来洞察」の教科書 - 日本総合研究所 未来デザイン・ラボ

未来についての本が、最近多く目にとまる気がする。

定常社会を本格的に迎える中で、
いよいよこの先どうする?みたいな感じで本が増えているのか、

あるいは、自分がいま仕事も含めて未来の課題を感じているからなのか。



少し前に、買ってなかなか読む時間が取れなかったが、
ようやく読んだ。

内容としてはほとんどが日本総研がクライアントと行う
ワークショップの流れについて。

あんまり記憶にとどまらなかった。

Tuesday, February 28

増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?―――日本人が知らない本当の世界経済の授業 単行本(ソフトカバー) - 松村 嘉浩 (著)

以前買っていた本をついに読んだ。

最近、これからの社会に関する書籍を読み進めているが、
どれもやはり「定常化社会」に対してどう対応していくか、
これからの「幸せ」をどうとらえて、作っていけば良いのかについて、
議論をしている点は、共通している。

今回のこの本は、過去トレーダー?だった金融系の方が書かれており、
マネーアプローチから、今の社会がいかに破綻目前か、
それに対して政府の金融政策はいかに毒であるか、が
書かれていて、非常に面白い。

どうして問題を先送りしているのか、
こういう人がせっかく問題提起しているのに、
なぜ、政府は取り扱わないのか、不思議でならない。

たぶん「既得権益」を守ろうとする連中が、
投票した政府だから、そうなるんだろうけど。

どこかの世代が本気で取り組まないと、
解決しないことなのに・・

考えさせられる。


次は、ちょっと軸足をずらしながら、
「働き方」に関する本をもう少し読んでみようかと考えている。

Monday, February 27

物理数学の直観的方法 〈普及版〉 理工系で学ぶ数学 「難所突破」の特効薬 (ブルーバックス) - 長沼伸一郎

昨日のワイアード記事を読んで実本を読んでみた。
というか、正確には、めくってみた。


Exit Science
その向こうにある科学 5つの出口
蔵本由紀/長沼伸一郎/北野宏明/宇川直宏/ピーター・ペジック

デカルト由来の「機械論的思考」によってドライヴしてきた近代科学は、生命や自然に本来備わっていた「複雑さ」を語れずにきた。この先科学は豊かさに満ちた「未知の世界」とどう向き合うのか? 5人の賢者に訊いた。

実際のところきちんと読めたのは、まえがきとあとがきくらいで、
一応、理工学部は出ているもののの、建築学科であることをいいことに、
必修の物理・数学はぎりぎりの低空飛行&一夜漬け、ときおり浅(朝)漬け、
最悪、漬けないという暴挙・・爆。
という、ぎりぎりの連戦練磨の私には、わかるわけもなく、鮮やかにすっ飛ばした。

高校時代の数学を教えてくれたおばあちゃんせんせい。
物理を教えてくれた若い兄ちゃん先生&おじいちゃん先生元気かな・・
と、昔の授業風景まで、目に浮かび、
懐かしい思い出と、
テスト前日の消えていなくなりたい気持ちとが織り交ざった、
淡い焦燥感さえ思い出した。

さて、本の内容(正確には、まえがき・あとがき)は非常に面白かった。

これまでの数学は、
「部分の和は、全体をあらわす」という前提のもと成り立っているが、
実は、よくよく考えてみると、もっと世の中は複雑で、
互いの要素が絡まりあい、影響しあって調和を保っているもの、
という認識を持つことがもしかしたら大切、という話だった。

この「部分の和が、全体をあらわす」という、
考え方が宗教とともに広がっていって普及したという話も、
(サピエンス全史を読みたての頭からすると)
とても興味深かった。

結局、この発想は天文学の考え方によるところが大きいそうで、
つまり、太陽と他の惑星の観測から生まれたという。
太陽系を考えたとき、太陽の引力が巨大すぎて、
他の惑星の引力が「無視」できてしまうことから、
単純にひとつ対多を説明すればよく、この場合は
「部分の和が、全体をあわらす」ことになるという。

著者が、あとがきで、
富の分配が行われないことや、
個人の幸せ(自由)の追求が社会全体の幸せにならないことなどにも触れ、
「部分の和が、全体をあらわさない」ことの説明をしている点も
本当に興味深い。

著者は、物理や数学に精通しているだけではなく、
社会に向けた眼差しに感服せざるを得なかった。

そして、結局大切な中身はよくわかっていないんだが、
たぶん”直感的?に”推察するに、まえがき・あとがきだけを読んで推察するには、
長沼さんが、数章で積み上げた丁寧な直感的方法の中で、
物事の本質をつかみ、
結局は、本全体を通して、それぞれの関係性全体を把握することが、
重要だ、と言っているのではないかと思った。

単純化できないことがわかったからには、
さまざまな学問を一人の頭で処理をしなくてはならない、
そのための思考のヒントにしてほしいという、
あとがき末尾の言葉にもおそらく、これが滲んでいるのではなかろうか。

仔細まで、理解することができず、
一夜漬け体質を悔やむばかりである。


著者について、よくよく調べてみると、
早稲田大学理工学部卒、院中退であり、
まさか高校も学院卒。
同じような、経歴を持っていることを知り、
非常に親近感が湧いた。

とはいえ方や、若干26歳で物理の分野でヒット本を書ききった
すごい人であって、そこはまったく親近感はわかないが、
たしかに、友達の中には、
同じような、鬼才もいたものかと、
また、ここでも懐かしい気持ちになった。

著者紹介のHP(立ち上げは著者と親しい方?)は、まるで森見登美彦の世界観(早稲田版)を
地で行くような人で、経歴なのにもかかわらず、
ちょっとした小説を読んでいるような気にさせる、プロフィールで、面白かった。

しかし、ネットがない時代に、自費出版の本ひとつに、
すべてをたくすとは・・そこも含めてやはり鬼才や・・


きっと長沼さんも、
「自分なりの世の中への眼差し」をもっていたから、
流されずに、
”直感”的方法を見出したのに違いない。

自分はどう考えるか、
それはなぜなのか、
自分の感覚を研ぎ澄まして、
複雑怪奇な世の中に立ち向かう意志が大切と、思った。